無双直伝英信流とは

 当道場で修行している無双直伝英信流は、古来より伝承された居合の流派のひとつです。

 戦国時代に活躍した居合の祖である初代林崎甚助重信公を初代とし、七代長谷川主税助英信公が古伝の技に独創の技を加え、そして九代林六太夫守政公の代に土佐藩へ伝わり、以降土佐において藩の御留流として土佐藩士に脈々と伝承されてきました。

 土佐藩出身で自由民権運動の主導者である板垣退助も、当流を修行していたことが知られています。

 十九代福井春政の代までは、土佐の国不出の御流儀とされておりましたが、二十代河野百錬の代になると初めて土佐を離れ大阪から日本全国に広まることとなり、現在二十三代福井將人御宗家(岐阜)まで伝承されています。

 また、当流は十一代大黒元衛門清勝十五代の頃に二派に分かれ、十五代谷村亀之丞自雄の流れを継いでいるため、当流は谷村派とも呼ばれています。(もうひとつは下村派と呼ばれており現在も伝承されています)

 当道場館長の水野雅夫範士(無双直伝英信流)は、現御宗家である二十三代福井將人先生から直接指導を受け、また先々代の二十一代御宗家福井虎雄先生の門人であった加藤文雄十段からも指導を受けておりますので、当流の宗家直伝の技を当道場にて学ぶことが出来ます。

 

当流の系譜

始祖   林崎甚助重信

二代   田宮平兵衛業正

三代   長野無楽入道槿露斎

四代   百々軍兵衛光重

五代   蟻川正左衛門宗続

六代   萬野団右衛門尉信定

七代   長谷川主税助英信

八代   荒井勢哲清信

九代   林六太夫守政

十代   林安大夫政詡

十一代  大黒元衛門清勝

十二代  林益之丞政誠

十三代  依田萬蔵敬勝

十四代  林弥大夫政敬

十五代  谷村亀之丞自雄

十六代  五藤正亮

十七代  大江正路

十八代  穂岐山波雄

十九代  福井春政鉄骨

二十代  河野稔百錬

二十一代 福井虎雄聖山

二十二代 池田隆聖昴

二十三代 福井將人

 

形目録

 居合

前切り 無双直伝英信流
前後切り 無外流
切上げ 神道無念流
四方切り 水鷗流
切先返し 伯耆流

 

  • 大日本抜刀法 十一本
    (二十代河野百錬宗家が組み立てられ、その後河野宗家の許可のもと二十一代福井虎雄宗家が順刀、四方刀にそれぞれ其の二を追加されたものです。日本刀を扱ったことのない将校達に対し、短期間に効果的な軍刀の操方を身につけさせるために、河野宗家が大阪武徳会より依頼され制定されたと言われています)

 

 基本の形

順刀 其の一
順刀 其の二
追撃刀  
斜刀  
四方刀 其の一
四方刀 其の二
斬突刀  

 

 奥の形

前敵逆刀
多敵刀
後敵逆刀
後敵抜打

 

  • 正座之部 十一本 (大森流から取られた技と伝えられています)
八重垣
受流
介錯
附込
月影
追風
抜打

 

  • 立膝之部 十本(七代長谷川英信公が組み立てられたとされる技で、鍛錬用に連続で行う早抜きも伝えれらています)
横雲
虎一足
稲妻
浮雲
岩波
鱗返
浪返
滝落
真向

 

  • 奥居合 居業之部 八本(初代林崎甚助重信公により伝えられたものと言われています)
脛囲
戸詰
戸脇
四方切
棚下
両詰
虎走

 

  • 奥居合 立業之部 十三本(初代林崎甚助重信公により伝えられたものと言われています)
行連
連達
惣捲
惣留
信夫
行違
袖摺返
門入
壁添
受流
暇乞 三本

 

  • 番外之部 四本(十七代大江正路宗家が組み立てられたものと伝えられています)
速浪
雷電
迅雷
四方切<悪魔祓い>

 

 組太刀

  • 居合道形 太刀打之位 七本 (古伝の太刀打之位を十七代大江正路宗家が再編したもので、現在はこの7本を太刀打之位として稽古しています)
出合
拳取
絶妙剣
独妙剣
鍔留
請流
真方

 

  • 詰合之位 十一本(剣術だけでなく体術の要素を含む、実践的な技も含んでいます)
八相
拳取
岩浪
八重垣
鱗返
位弛
燕返
眼関落
水月刀
霞剣
討込